完璧じゃなくてもいいんじゃない?
昨日もアメリカで多くの人に人気のあったカムリのリコールが報道されていました。リコール隠しまで噂されてるみたいです。
今回の出来事を考える時に、トヨタの最大の強みが、実はもっとも大きな弱点ではなかったかと思えてなりません。
私の親もトヨタが大好きです。小さい頃からよく、トヨタはとにかく故障しない、そう親がいうのを聞いて育ちました。
アメリカに留学中も、私が日本人だとわかると、トヨタの車はExcellent だ!(とにかく故障が多い自国の車に比べて)本当故障しない、そう言ってトヨタの関係者でもないのに、なぜかよく褒められていました。
トヨタの品質に対するユーザーの信頼はとても強く、そこから生み出される安全性についても安心感を与えていたのがトヨタでした。
もちろん人の命を預かっている商品ですから、安全性はもっとも重要ですが、人間が関わって作っている以上、絶対ということは不可能です。
不具合や故障はないにこしたことはないのでしょうが、でも故障が起こるからこそ、普段から自分の車のコンディションを自分でチェックするという習慣がつくのだともいえます。アメリカではかなり多くの人がちょっとしたことなら、自分で車をいじったりします。
完璧を求められるあまりに、実際には完璧であるはずがないのに、実際よりよくみせたりしてしまう。
引き合いに出すとしかられるかもしれませんが、世界で最大のソフトウェア会社であるマイクロソフト社のWindowsは、おそらく世界でもっともバグとセキュリティーホールのあるソフトかもしれません。マイクロソフトの様子をみていると、まるでプログラムにバグがあるのは当たり前で、問題がでてくればその都度直せばいい、そう考えているように思えるくらいです。そんなふうに完璧とはいえない製品をだし、修正版のインストールの手間を毎回ユーザーに強いているにもかかわらず、マイクロソフトの優位は変わりません。
オリンピック選手の帰国記者会見でもそうでした。メダルの数がふるわなかったことを、まるで糺弾するかのような雰囲気。失敗をぜったいに許さない社会の空気。いつもきちっとして、ミスや遊びを許さない世間。選手の入場のユニフォームへの大人げないバッシング。
ひとたび有名人が不倫という間違いを犯すと、まるで自分は清廉潔白であるかのように、国をあげて避難をする社会。
こんな余裕のかけらも、寛容さもない社会のもっともすぐれた成功例であるトヨタ。
今回のトヨタの問題は、実は日本という国と日本人全体に向けられたリコール要求でなかったのだろうか?
毎日のように起きる、鉄道自殺。そのためにほんの30分、1時間遅れるだけで、目の色を変えて駅員にくってかかる乗客。なんとしてでも会社にくることを要求する中間管理職上司と同僚。
たいへんな厳しい世の中だから、真面目な顔をして、歯をくいしばって、寝る間も惜しんで働いて、未曾有の経済危機をのりこえなければいけない。それはもちろん分かります。
でも、一方で、危機のときこそジョークを言って、それを笑いとばすような人々が、海を渡るとたくさんいます。
トヨタがもし今後、いままで以上に完璧さを求めていくなら、きっとどこかでポキリと折れます。
いいじゃないですか。完璧じゃなくても。完璧であろうとすることなんかやめて、素直に世界の人々に言ったらどうでしょう。「完璧な車は作れません。でも、心を込めて、今の持てる力で作れる最高の車を作ります。もしそれで故障があったら、どんな小さなことでも、すぐに知らせてください。出来る精いっぱいのことをして、安心して乗ってもらえるように改良します。」
不具合や故障があるのはいいことじゃないですか。その段階で気づいて手当をすれば、大きな事故にならずにすむし、それを改善することで、さらによいものが作れる。
日本人がたぶん誰でも誇りに思っている、世界一の自動車メーカーのトヨタさん。いつまでも私たちの誇りでいてもらうためにも、どうか無理をしないでください。あなたがたが完璧じゃなくたって、いい車を作ってくれるって知ってますから。
そして、たぶん多くのアメリカ人の友達も、冷静になれば、分かってくれますから。
応援してます!
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